きらきらメイクでときめくキス

 日焼け止めを塗って、ベビーパウダーを軽くはたいて、まつ毛を上げて、薬用のリップクリームを引いたらわたしのメイクは完了。ほぼすっぴんと言ってもいい。他の子と並ぶとあっさりした顔立ちだとは思うし、たまにニキビを隠せないのを恥ずかしく思うことはあるものの、取りたてて困ったことはない。だけど、きらきらしたメイクに憧れもあって。そんな気持ちをぽろっとタロちゃんにこぼしたら、メイクのイロハをあれこれと教えてくれた。そのまま勢いで通販サイトを開いて買った、下地、リキッドファンデーション、アイシャドウ、ルージュ。はじめてにしては買いすぎたかな? と思ってしまう色とりどりのコスメたちは、昨日頼んだばかりなのに驚くほど早く届いた。全体的に白くてシンプルな普段のメイク道具とはぜんぜん違う、きらびやかなパッケージ。そこから繰り出される華やかな色々。一足飛びに大人の階段を上った気分になって、背すじがしゃんと伸びる。タロちゃんはイエベとかブルベとか、わたしにはよくわからない呪文を唱えながらも、これでメイクすればもっとかわいくなれるって太鼓判を押してくれた。緊張しつつも、ポケチューブで初心者メイクの動画を見てチャレンジしてみる。下地はうすーく、顔全体に。これだけでもなんとなく顔色が明るく見える。その上に指先でリキッドファンデーションを伸ばしていく。動画の中ではメイク用のスポンジを使っているみたいだけれど、手元にないので指で代用。これで合ってるのかな? ブラウンのアイシャドウは塗り広げすぎないように気をつけながら、グラデーションを作る。「こうすると目元に深みが出る」って動画の中のお姉さんが言っている。そして最後に、ワインレッドのルージュで引き締める。

「派手じゃない、かな」

 つぶやいて、鏡の中の自分をまじまじと見つめる。いつもとは明らかに違う、少し大人っぽいわたしの顔。にんまりと笑うように口角を上げてみれば……あれ、なんか、さまになってない?

「メイク、いい感じだよ!」ってタロちゃんに報告したいけれど、それよりも先に、スグリにこの姿を見せたくなってしまった。その理由はたぶん、いや絶対、スグリに恋をしているから。

 リーグ部の部室に行けばきっと、スグリにもタロちゃんにも会えるはず。いつもより軽い足どりで部室のドアを開ければ……ほら、二人ともいた。

「アオイさん、こんにちは! ……あ、メイク!」

「わかりますか? 昨日買って、もう届いたんです」

「もちろんわかりますよ! とっても大人っぽいのにかわいくて、最高に似合ってます!」

 目を輝かせてストレートに褒められると、ちょっとだけこそばゆい。でも、他の人の目から見てもおかしくないんだと思えると、自信が湧いてくる。スグリにも、同じように言ってもらえるかな。照れながら「めんこい」なんて言われちゃったらどうしよう。速まる鼓動に気づかないふりをして、スグリに声をかけてみる。

「スグリ」

「アオイ。……なんか、いつもと雰囲気違う?」

 気づいてくれた! まず、第一関門はクリア。このまま「似合ってる」って、「めんこい」って笑ってくれたら、もう百点満点だ。そう、思っていたのに。

「俺は、いつものアオイのほうが好きだな」

 困ったような笑みを浮かべてそんなことを言うものだから、私はぴしりと固まるほかなくて。数秒ののち、どうにか平静を装って「そうなんだ」と他人事みたいに返した。それからすぐ、いちもくさんに部屋に逃げ帰ってきた。

 クレンジングオイルをこれでもかと塗りたくり、そのままがしがしと顔を洗う。こんな洗い方をしたら肌によくないのはわかっているけれど、止められなかった。メイクと一緒に、恋心まで流れてしまえばいいのに。

 せっかく買ったコスメたちは、もう二度と日の目を見ることはない。スグリの言葉がいつまでも胸にこびりついて離れてくれなくて、泣きながらいつの間にか眠ってしまった。

 アオイがいつもと違う化粧をしているらしいことは、タロ先輩との会話で気づいていた。聞き耳を立てているなんて趣味が悪いと思われるかもしれないが、好きな女の子のことならなんだって気になるのだ。今の角度からだとアオイの顔はよく見えないけれど、もしこっちを向いたら、似合ってるって言おう。どんな化粧をしていたって、アオイはめんこいに決まっている。そう考えていたはずが、俺の口を突いて出たのは反対の言葉だった。

「俺は、いつものアオイのほうが好きだな」

 間違えた、とわかったときにはもう遅かった。アオイは凍ったように動かなくなったと思ったら、顔をくしゃりと歪ませてダッシュで部室から出て行ってしまった。どう考えても、俺のせいだ。不器用とか、そういうレベルじゃない。好きな女の子を傷つける言葉を吐いてしまった。そう自覚した途端、一気に自己嫌悪に襲われて胸がざわめく。

 今さらこんなことを言っても言い訳にしかならないが、アオイは言うまでもなくめんこかった。ただ、急にメイクを始めるなんて、どういう風の吹き回しだろう。もしかして、好きな人さできた? だとしたら、相手はいったい誰? 嵐のようにそんなことが頭の中を駆け巡って、こぼれ出たのがさっきのセリフ。つまり、本当にいるかどうかもわからない、アオイの想い人への嫉妬が根底にある。今すぐ謝りに行きたいけれど、またとっさに余計なことを口走ってしまうかもしれない。そう思ったらひるんでしまって、追いかけられなかった。

 翌日、俺はアオイに謝る機をうかがっていた。変なことを言わないように、謝罪の言葉は一晩かけてしっかり練ってきた。できるだけ周りに人がいないときを狙って、アオイに心から謝ろう。そう考えてはいるものの、さっきからずっとクラスメイトとブルレクをしていて、なかなかひとりになる気配がない。ちなみに一緒にいる相手は女子だ。だから、なんとかそこまで心を乱されずに済んでいる。せわしなく各エリアを行き来する姿を見逃さないよう集中していたら、野生のゼブライカの群れがこちらへ駆けてくるのに気がつかなかった。

「うわっ! カイリュー、ゼブライカを追い払って!」

「ぎゅるー!」

 鍛えあげたカイリューといえども、一気に五体で押し寄せてきたゼブライカにはやや苦戦した。渾身のワイドブレイカーでなんとか撒いた頃、辺りにもうアオイはいなくなっていた。別のエリアへ向かってしまったのだとしたら、何の手がかりもなしに追いかけるのは困難だ。しかたなくセンタースクエアへ向かうと、そこには今しがたクラスメイトと別れたばかりと思しきアオイの姿。

「アオイ!」

「えっ、スグリ!?」

 一瞬、だがはっきりと、アオイの顔色が変わったのを見逃さなかった。嫌われてもしかたないことをしたはずなのに、それは嫌悪というよりも、むしろ。さっきまで、きりっとした顔を崩さずに淡々とブルレクをこなしていたアオイの、やわらかな表情。もしかしたら、チャンピオンとしての威厳を保つために意識的に強そうに振る舞っていたのかもしれない。もしそうだとしたら、その鎧を俺の前では外してくれた、と思っていいのだろうか? うぬぼれてしまいたくなるが、それよりも。

「アオイ、昨日はごめん」

「……いいよ、気にしてないから」

 本当にそうだとしたら、今日だってメイクをしていてもおかしくないはず。なのに、今日はおとといまでと同じ顔。気にしていないわけがないことは、乙女心ににぶい俺でもさすがにわかる。

「俺、アオイにひどいこと言った。本当はどんなアオイだって、その」

――めんこいと思ってる。そう言いたいのに、急に恥ずかしさがこみ上げてきて言葉を継げない。

「もう、いいってば」

 あきらめたようにコライドンに乗って飛び去るアオイを、またも引き留めることはできなかった。ひどく情けなくて、その場にしゃがみ込んだ。肝心なときに限って、俺はいつもだめだ。

「いつものアオイのほうが好き」という言葉には、どんな意味がこめられていたんだろう? もし見た目だけを指してそう言われたなら、コスメを封印してしまえばおしまい。ただもし、言動までもひっくるめた「いつものアオイ」が好きだと言われていたのなら、きっと嫌われてしまった。昨日、スグリが謝ろうとしてくれたのに、わたしはそれをふいにして逃げ出してしまったから。スグリの前ではいつでも素直で明るいアオイでありたかったのに、自らそのイメージを壊してしまった。ため息をいくつこぼしても、過去は変わらない。自分がとってしまった態度も、スグリの言葉も。

「アオイ、いる?」

 ノックとともに、スグリの声が聞こえる。まだ、追いかけてきてくれるんだ。少なくとも顔を見たくないと思われるほど嫌われてはいないようで、ちょっと安心する。

「……今、開けるよ」

 十センチほどだけ開けたドアの隙間からスグリの顔を覗きこめば、まるで林間学校で出会ったときみたいにおどおどしているのがうかがえる。そんな顔をさせてしまっているのは自分だというのに、わたしの胸は自分勝手にしめつけられる。「意地になってごめんね」と口を開こうとしたら、それより早く、目の前に小さな紙袋が差し入れられた。これは、イッシュで人気のコスメショップの?

「この間は、本当にごめん! お詫びってわけじゃねぇけど、これ、受け取ってほしい」

「なに?」

 言われるがまま素直に紙袋を受け取って中身を見てみれば、そこにはしまい込んだばかりのルージュ――の色違い。わけがわからずきょとんとしていれば、途切れ途切れにスグリの言葉が飛んでくる。

「昨日、ねーちゃんに聞いて買ってきた。アオイにその、に、似合うと思って。……でも、この間の化粧は、まだ早すぎるべ」

 早すぎる? わたしだって十代半ば。メイクに興味を持ったっておかしくない年頃のはずだ。確かに普段はぜんぜん化粧っ気なんてないけれど。

「早すぎる、ってことはないでしょ? わたし、タロちゃんとひとつしか年が変わらないんだよ?」

「いや、その、この間のアオイ……めんこすぎて、俺には早すぎた、ってこと」

 ……めんこすぎて? 今、めんこすぎて、って言った? 信じられなくてスグリを見やれば、この間のルージュに負けないくらい顔を真っ赤にして、困ったように手首で口元を押さえていて。その姿がいじらしくて、でもかっこよくて、どうしようもなく心が揺れる。気づいたら、スグリの手首をつかんで部屋に招き入れていた。ドアを静かに閉めれば、スグリと二人きりの空間のできあがり。

 呆けているスグリをよそに、もらったばかりのルージュの封を開けてさっそく塗ってみる。色濃い紅とはまるで違う、鮮やかなサーモンピンクがくちびるを彩る。決して大人っぽくはないものの、確かに私にはこれくらいの健康的な感じがちょうどいいのかも、と妙に納得してしまう、不思議な色。

「どう、かな?」

「……よく似合ってんべ」

 はにかんだ表情とともに飛んできた褒め言葉に、心のうちで感じていた不安や緊張はあっという間に霧散していく。単純なものだ。意識なんてしなくても、口角がきゅっと引き上がるのがわかる。

「えへへ、ありがとう」

 ふと、スグリの目がわたしのくちびるにくぎ付けになっているのを感じる。そのまなざしに応えるように、わたしもそっと視線を返す。

「アオイ……」

 スグリが、いつになく真剣なトーンで名前を呼んでくれる。その声はかすかに震えていて、だからこそ真剣な気持ちがこもっているようで。きゅっと控えめに手を握られて、心臓がとくとくと高鳴る。

「俺、嫉妬しちまってた」

「嫉妬?」

「急にメイクさするようになったから、好きな人でもできたんかなって……でも俺、好きなんだ、どんなアオイも」

 ずっと夢見ていた告白のときは突然訪れた。心の準備なんてまるでできていなかったけれど、返事はもちろん。

「わたしも……わたしも、スグリが好き。メイクだって、スグリに見せたかったんだよ」

「……うん」

 自然に、引き寄せられるようにスグリが近づく。あ、スグリの息、と思った次の瞬間には、やわらかいものが触れていた。わたし、今、大好きな人とキスをしてるんだ。くちびるからスグリの「好き」が流れ込んできて、幸せで頭がくらくらする。

 くちびるが離れても、スグリはどことなく名残り惜しそうだった。そしてたぶん、わたしも同じ顔をしている。

「口紅、落ちちまったな」

「何度でも塗り直すよ」

――だから、何度でもキスして?

 その言葉より先に、二度目の甘い口づけが降ってきた。

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