思春期はピンク色

 キタカミの里の数少ない子供たちだけが通う分校では、生徒が少ないこともあり、学年に関係なくみんなが一つの教室に集まって授業を受けている。都会の学校では学年ごとにクラスが分かれているらしいけれど、私は入学したての子から受験目前の生徒まで、みんなが一緒の教室にいるこの環境が気に入っている。なぜならさまざまな学年の子たちとの学びは刺激が多いからだ。それに加えてもうひとつ、密かに想いを寄せる幼なじみのスグリと、その恋の相談相手でもある姉のゼイユがすぐ近くにいてくれる、という理由もある。

「こんにちは、スグリとゼイユのお見舞いに来ました」

「アオイちゃん、いつもありがとうねぇ」

 今日は二人とも同時に風邪を引いて学校を休んでしまっていたので、学校で配られたプリントを届けに来た。幼い頃から何度もお邪魔しているスグリたちの家に来るのは慣れたもので、間取りだってしっかり把握している。おばあちゃんに快く出迎えられた私は、二人の部屋がある二階へと向かった。

「ゼイユ、お見舞いと、あとプリント届けに来たよ!」

「……あのねぇ、ノックくらいしなさいよ」

 ゼイユの部屋のドアをいつものように遠慮なく開けると、布団に横たわっていた彼女に呆れた口調で窘められる。とはいえ本気で怒っているわけではなさそうなので、軽く聞き流す。ゼイユとあまり親しくないクラスメイトは、彼女に対して怖いという印象を持っているようだが、激怒しているとき以外はこんな風にひょうひょうと聞き流してしまっても問題ない。それを知っているのは、たぶん弟のスグリと幼なじみの私だけだ。

「割と元気そうだね」

「ありがと。もう熱はだいぶ下がったわ」

 ゆっくりと上体を起こしたゼイユにプリントを手渡す。彼女は「うわ、数学の課題多すぎでしょ」という言葉とともに顔をしかめた。

「元気になったら、またゼイユとスグリと私で一緒に宿題やろうよ」

「とか言って、スグの近くにいたいだけでしょ」

「うっ、バレてる……」

「何年アオイの友達やってると思ってるのよ。ほら、スグにもプリント届けてやんなさい」

 ゼイユの言葉に急かされるように、向かいにあるスグリの部屋へと歩を進める。好きな人の部屋に入ると考えると鼓動が少し速まるのを感じるけれど、できるだけ平静を装ってドアを開けた。

「スグリ、お見舞いに……あれ?」

 部屋の中にスグリの姿が見当たらない。ついさっきまで寝てました、と言わんばかりの乱れた布団に目をやると、そこには。

「えっ……えっちな本、だ……」

 枕元に置かれた雑誌の見開きに近付いて見てみると、豊満な乳房を露わにした女性が悩ましげな表情でしなを作っている姿があった。これを見ているってこと? あのスグリが? と10まんボルトに打たれたようなショックを受ける。雑誌から目を離せないままフリーズしていた私は、スグリが部屋に戻ってきたことに気が付かなかった。

「アオイ、来てたん、だ……」

「わぁーっ!?」

 自分が何かやましいことをしていたかのように慌てて振り向く。やましいのはきっとスグリの方なのに。スグリの部屋にえっちな本があって、それを見ていた形跡が生々しく残っていたことによる驚きと、うっかりそれを見つけてしまった恥ずかしさとが混ざり合って、自分が今どんな表情をしているか分からない。

「こっ、これ、プリント! それじゃまたね! 私、何も見てないからー!」

 プリントを無理やり押し付け、一目散に階段を駆け下りる。そう、私は何も見ていない、見ていないのだ、と自分に言い聞かせながら、はちきれんばかりの大きな胸も、しなやかな腰のラインも忘れようとする。

「アオイちゃん、これ持って行って」

 階上で小さな事件が起こっていたことなど知る由もないおばあちゃんに呼び止められて、作りすぎてしまったという煮物が入ったタッパーを渡される。ありがとうございます、という返事もそこそこに、スグリの家から徒歩10秒の自分の家まで駆け抜ける。

 タッパーをとりあえずダイニングテーブルに置き、すぐに自室に閉じこもった。考えてしまうのは、やっぱりさっきのスグリのこと。私の中のスグリは引っ込み思案で、泣き虫で、身体も強くなくて、ゼイユと私で守ってあげなきゃ! と思ってしまうような、庇護欲をかき立てる存在だった。そんなスグリがもうあんなオトナな本に興味を示すようになっていたなんて。

 でもよくよく考えてみれば、意識していないだけで私たちはそういう年頃真っ只中なのかもしれない。私だって胸が膨らんでいるし、生理も始まっているし、細い棒のようだった身体も最近はなんとなく女性特有の丸みを帯びてきたような気がする。スグリも私も第二次性徴のときを迎えているんだと思うと、これまでの性差なんか関係ない「仲の良い幼なじみ」ではいられなくなってしまう気がして、うら寂しさを覚えた。もし「恋人」にステップアップできるならその変化も喜んで受け入れるけれど、そうしたら私もいつかスグリとそういうことをするときが来るのかもしれない。そんな未来はすりガラス越しにあるようでぼんやりとしていて、まだはっきりとは想像がつかないけれど。私は小さく、でも確かに膨らんだ双丘を手のひらで包み込みながら、溜息をついた。

 お母さんに夕食ができたと呼ばれるまで、私は部屋でずっと沈思にふけっていた。食卓にはおばあちゃんにもらった煮物が並んでいたが、どうにもスグリを意識してしまって、味がしなかった。ごめん、おばあちゃん。

 翌朝、学校へ向かうべく家のドアを開けると、ちょうど隣の家からスグリとゼイユが出てくるところだった。

「あっ、二人とも! 風邪、治ったんだね」

「一時的に熱が出ていただけで、ころっと治ったわ」

 スグリはいつものようにゼイユの後ろに隠れていたが、今日はなんとなくこの場にいづらそうな雰囲気を醸し出していた。十中八九、昨日のことが関係していると見える。

 昨日は私も悶々と考えてしまった。思春期と呼ばれる年頃なのだから、そういうことだってあったっておかしくないかもしれない、と頭では理解しているけれど、まだ心がそう割り切るのには時間がかかりそうだった。

「スグリ、」

「昨日のこと、忘れてほしい」

 登校の道すがら、ゼイユから距離を置いてスグリに声をかけると、小さな声で、でもはっきりと、言葉を遮るようにそう懇願された。私の反応を見るのが怖いのか、気まずそうに唇を噛みながら俯いているスグリを見ていると、この表情をさせたのは私自身であるというのに、私がスグリを守らなくては、なんて思ってしまう。

「忘れるのは、ちょっと無理かも」

「そんな……」

 顔を上げたスグリの縋るような視線が痛い。私は目を逸らしながら言葉を続ける。

「スグリは、あの、その、えっち……なことしたい、とか思うの?」

「う……」

 どう話したらいいか分からなくて、ストレートど真ん中の物言いになってしまった。二人の間に重たい沈黙が落ちる。なんとかこの空気を打破したくて、動揺しながらも再び口を開く。

「わ、私は、もしするなら、スグリとがいい」

「……わやじゃ!? アオイ、自分が何言ってるか分かってんのけ!?」

「あっ、えっ、あれ? 私、何言ってるんだろ、ごめん、忘れて」

「『忘れるのは、ちょっと無理かも』」

 さっき自分が言ったばかりのセリフをそっくりそのまま返されてしまって、ぐうの音も出ない。ちらりとスグリの表情を見やれば、先ほどまでの気まずそうな表情はどこへやら、勝ち誇ったような笑みで私をじっと見つめていた。

「ごめん、嫌だったよね、突然こんなこと言われて」

「嫌なわけね」

 それ以上の言葉はなかったけれど、お互いに好意も、そして下心でさえも、ぴったり重なり合うように同じ形のものを持っているのだという確信を持った。面映ゆい気持ちを抱えたまま、そっと手を伸ばしてスグリに触れようとする。

「あんたたち、遅いわよ!」

 あと三ミリ、というところで遥か前からゼイユの言葉が飛んでくる。それに呼応するように、二人で同時に駆け出す。
 私たちの関係は、「仲の良い幼なじみ」を抜け出して、ほのかなピンクに色づき始めていた。

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