どうかこのまま

 スグリは硬直していた。なぜならアオイがスグリの肩にもたれかかり、すぅすぅと規則正しい寝息を立てていたから。視線だけをちらりとアオイの方に向ければ、あろうことかちょっぴりよだれまで垂らしている。すっかりリラックスしきったアオイの姿に、スグリは俺の気も知らないで、と小さくため息をついた。

 なぜこんなことになったのかと思い返してみれば、昼休みまでさかのぼる。お昼どきの混み合った食堂で、ひとり必死に学園定食をほおばっていたスグリを見つけて、席を探していたアオイは弾んだ声で声をかけた。

「スグリだ! ここ座っていい?」

「あっ、アオイ。もちろんいいべ」

 それだけで、スグリの心臓は小さく跳ねた。大好きな女の子と二人でお昼を過ごせるなんて、彼にとってはまたとない僥倖だった。しかも座っているのは二人掛けの席だから、邪魔が入ることもない。

「はぁ、午前の授業、疲れた~」

「座学?」

「うん、エスパータイプの生態学だったんだけど全然わからなくて……」

 アオイはアカデミーの宝探ししかり、学園のフィールドワークしかり、外を駆け回る授業ではきわめて優秀な成績をおさめていた。その一方で、座学は苦手で、テストでは平均点を下回ることがしばしば。吐くほどに勉強を重ねてきた経験のあるスグリは、アオイとは対称的に座学が得意だった。もはや学園の授業の域を超え、より高度な学習までしているほど。

「それなら、今度俺が教えるべ」

「本当に!? すっごい助かる!」

 はにかみながら進言するスグリの心のうちは、アオイの役に立ちたいという純粋な気持ちと、アオイにもっと近づきたい下心が半々。後者についてはどうか気づかれませんように、と願ってはいたけれど。

 さっそくその夜、スグリの部屋で勉強会を開いた。お風呂に入ってから集まろう! と約束したら、アオイはいつもの三つ編みをほどき、ゆるいTシャツとハーフパンツ姿でやってきた。男の部屋に行くにはあまりにラフなその姿に、スグリは複雑な気持ちを抱いた。アオイの無防備な姿を見られるのは嬉しいけれど、俺のことを男として見ていないんじゃないか、と。実際のところ、アオイはスグリとならば何か間違いがあっても良いと思っているからこんな身なりをしてきたのだけど、スグリはそんな気持ちを知るよしはなかった。

 1時間ほど集中して机に向かって疲れてきたところで、休憩がてらドンナモンジャTVを見よう、とアオイが提案した。今日アップされていた動画は、ナンジャモと挑戦者のジムバトル。だが、挑戦者の戦い方はたどたどしく、とても見ていられるものではなかった。正直退屈だな、と思い始めていたスグリの肩に、あたたかな温度と重さが触れた。何かと思えば、そこにあったのはアオイの頭。そして、冒頭に戻る。

 こんなことをされたら、気づかれたくないと思っていたはずの下心が、スグリの中で優勢になるのは仕方がないことだった。とはいえ、付き合ってもいない女の子にうかつに手を出すほど理性のない男でもない。アオイをこのままベッドに寝かせてしまっても良かったが、自分からアオイに触れて良いものかと迷って、結局それはやめた。うっかり唇や胸なんかに触れてしまった日には、アオイと顔を合わせることすらできないだろう。

「ん……んぅ」

 アオイは目を覚まして、肩に触れる熱と鼓動に、今の状況を思い出す。スグリの部屋で勉強して、休憩に動画を見て、それで――。うっすら目を開けてふよふよと浮いたままのスマホロトムを見れば、動画の再生はすっかり終わって、画面は真っ暗になっていた。見ている途中で寝ちゃったんだ、と理解するとともに、今自分が触れているのがスグリの肩なのだということまでわかった。スグリはタンクトップを着ているから、肌に直に触れてしまっている。思わず乾いた唇をぺろりと舐めた。

「なんだ、まだ寝てるんだべな」

 スグリのささやくような声が響いて、アオイの耳は熱を帯びていく。スグリ、まだ私が寝てると思ってるんだ。それならこのままジグザグマ寝入りを決めて、スグリがどんな行動をするか試しちゃおうかな。アオイのそんないたずらな好奇心が、スグリの欲にほのかな火を灯していた。

「アオイ」

 震える声で、愛しい人の名前を呼ぶ。さっき一度は諦めたけれど、やっぱりアオイに触れたい。でも、このラッキーな状況も崩したくない。そう思ったスグリの手は、自然とアオイの肩に伸びていた。服越しでも感じる、女の子特有のやわらかさに心臓が高鳴る。すり、と指先で撫でればアオイの身体が身じろぎをするように動いて、スグリは思わず手を離した。

「んん、だめ」

「わやじゃ、アオイ、起きてたんか!?」

「もうちょっと、このまま……」

「……アオイのずるっこ」

 口ではそう言いながらも、アオイの言葉にはあらがえず、スグリはもう一度アオイの肩を抱いた。アルセウス様、いつまでもこうさせてください、と願いながら。

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